About Us
日中医学生交流協会設立の沿革
日中医学生交流協会は、1985年に慶應義塾大学医学部の学生有志により設立されました。当初の設立の目的としては、将来における医学的な交流の発展の礎として、両国の医学生がお互いの現状や将来への展望を認識し合い、理解を深めることを掲げました。
中国では、周恩来が1970年代後半に提唱した「四つの近代化」の一環として「科学技術の近代化」が推進されており、医療施設や医療機器の近代化が進むと同時に、伝統医学と西洋医学を合わせた医療技術の研究開発が積極的に行われてきました。わが国に伝わる漢方医学、中国で伝統医学として行われている中医学は、ともに古代中国の医学を共通の起源として成立しており、このような中国の政策を現場で視察することが最大の目的でありました。
その後、東洋医学に対する世界的な認識の変化、また東洋医学と西洋医学の臨床の場における相乗的進化に応じて、単なる学生交流の枠を離れ、臨床医学的な価値により重点を置いた活動を行うようになりました。従来の西洋医学に加え、東洋医学に通底する知識・技術を吸収することは、西洋医学を客観的に見直すことへも繋がり、ひいては西洋医学に新たな風を送り込むことへと繋がります。日中医学生交流協会は、その活動を通じて日本の伝統医学である漢方、中国伝統医学、さらには広く東洋医学全般、西洋医学についての理解を深め、かつ西洋医学との適切な融合の方法を探り、それらを真に活用できる人材の育成を目指して活動を行ってまいりました。
日本では、漢方医学が見直された結果、多くの人々が漢方の処方を望むようになりました。現在では7割の臨床医が漢方薬を処方しています。また社会的要請に応え、2005年度には全国80大学医学部の全てに漢方医学の講義が導入されました。今日、われわれ学生が西洋医学のみならず臨床に基づいた漢方医学をも学習する意義は、ますます大きくなってきています。
東洋医学、ならびに西洋医学の正しい理解と実践のためには、西洋医学的な概念の正しい理解はもちろん、更に伝統的な東洋医学の体系を学び、東洋医学に通底する知識・技術を吸収することが不可欠と考えます。現在われわれ日中医学生交流協会は、その活動を通じて日本の伝統医学である漢方、中国伝統医学、さらには広く東洋医学全般、また西洋医学の理解を深め、東洋医学・西洋医学の両方を真に活用できる人材の育成を目指して活動を行っています。
Our Story
1人の医学生として、これからの医師人生に思いを馳せた時見えたものは、医学部の硬直した閉鎖的な人間関係、周囲の環境でした。高度な専門性が求められる環境の中、ともすれば病院のカルテと決まった疾患と、いつも同じ同僚と向き合う日々になっていることでしょう。時間が経てば、おそらくそれが全く狭い世界であることすら忘れてしまいます。1人の医師として自分がたった今していることが、果たしてどのように病院の外と、社会と、日本と、アジアと、そして世界と繋がっているのかを感じ、自分の夢と、社会が要請するもののベクトルを同じ向きにするためには、外に出るしかありません。ある種、ショック療法的な立ち位置として、この旅の意味があります。
一方、視点を1人の医学生から世界へと移す時見えるものは、地球規模の人口増加と資源不足、偏狭なnationalism、 宗教間の紛争、未知の感染症など…。21世紀、「格差」は拡大の一途を辿りました。地域格差、経済格差、そして医療格差。人類が危機に瀕した時、その煽りを受けるのはいつも社会的弱者であることは変わらず、将来に希望の見えない時代です。このような時こそ、「生命の平等」を基本に据える医学・医療が人々に希望を与えることができる、その力を持っている学問であると考えます。常に患者の話に耳を傾け、「生老病死」に寄り添い、辛さや痛みに共感するその姿は、アジアの国境を越え、中国4000年の歴史すら越えて変わらぬはずです。正に我々は、信濃町を越え、国境を越え、世界の広さを知り、日本との違いを肌で感じる一方で、医術が現代に与える力が場所を超えて普遍であることを確かめに、旅に向かいます。
医学部5年生になると、同世代は社会へ飛び立ちます。私たちも間も無く、社会に貢献することが求められます。「社会の先導者」とならんとする我々は、しかしまだ右も左も分からぬ医を志す者として半人前であります。その私たちが、どのように医術を持って社会と向き合うか、つまり「自分には何ができるのか」をウンウン唸って考え、真に自分自身と向き合うことが、私たちの活動の使命であります。唸ったその先に、青二才な我々の未来にも、先の見えない混沌とした世界にも、医の希望が見えることを信じて。
総務執筆 2024年4月